こっしーのドリーム図書館

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本の要約と感じたことを発信しています。

たった一度の人生。何の制限も無いとしたらあなたはどんな生き方をしますか?

こんにちは。

どうも越川です。

 

最近、シェアハウスにて人がダメになるソファを買ったのですが、

あれマジで危険です。笑

 

まあどういう状態になっているかと言うと

布団で寝なくなりました。笑

 

あまりにもクッションが気持ちいいので

そのまま寝てしまいます。

そして気が付いたら床で寝ている時があるので

本当に気を付けます。笑

 

さてさて、 

 

 

 

はじめに

 

今日の本は

「君の膵臓を食べたい」

という本です。

 

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この本を読もうと思った理由は

感性を豊かにしたいというのが一番です。

 

かれこれもう120記事以上書いてきましたが

ほとんどがビジネス本や自己啓発本ばかりだったので

さすがに頭がカチカチになってしまうと思い、

小説に手を出していこうと思いました。

 

これからは小説も増えてくるので。

今月は小説を6冊読むと決めているのでお楽しみに。

 

 

あらすじ

 

ではまずあらすじから参りましょう!

→とはいいつつもあらすじを言ってしまうと

この本を読む価値がなくなってしまうので控えめに。笑

 

 

この物語は主人公の少年と桜良(さくら)による

青春?の物語です。

 

彼らは高校生。

少年と桜良は同じ高校のクラスメイトです。

 

 

少年は友達がほとんどおらず、

休み時間には本を読んでいるような。

陰キャラと呼ばれる部類に入るような人です。

 

 

一方桜良は少年とは真逆で明るく

友達も多く、比較的美人な子です。 

 

 

では何故この2人が行動を共にするようになったのかと言うと

桜良の病気がきっかけでした。

 

桜良は膵臓の病気にかかってしまいました。

 

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桜良はそれを家族以外の誰にも話していませんでした。

 

桜良は病気にかかってから毎日、

「共病文庫」

という日記を毎日書いていました。

 

しかし、その日記が少年に読まれてしまったのです。

 

日記が読まれてしまった以上、

自分の病気の事を隠すことは出来ません。

 

 

その為、桜良は少年にだけ

自分の病気の事を話すことにしました。

 

 

桜良は当時付き合っていた彼氏もいたし、

大親友の恭子もいましたが、

少年だけ話しました。

 

そこから桜良はその少年と行動を共にすることが多くなり

少年と余命数年の桜良が送る物語です。

 

 

具体的なあらすじを言うとネタバレになってしまうので

ほどほどに・・・笑

 

 

では本で感じたことを書いていきます。

 

 

余命1年と言われたら残りの人生は1年だと思いますか?

 

桜良はほとんどもう命が残されていません。

数年の命です。

 

もしあなたは自分の命、

もしくは友達の命が余命3年と言われたら

どうしますか?

 

あと3年しかないのか。

 

と思う方が多いと思います。

 

ただ、本当にそうでしょうか?

本当にその人は3年間生きるのでしょうか?

 

 

・・・

 

・・・

 

そうではないと思うんです。

 

もし急に心臓発作が起きたらどうですか?

急に事故に合ったらどうですか?

病気の事が辛すぎて自殺してしまったらどうですか?

 

 

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・・・

 

・・・

 

 

僕達は期限が決まったら

その分は安心だと思ってしまう癖があると思います。

 

 

今の日本の平均寿命は男性80歳、女性87歳と言われています。

あくまでも平均寿命は平均値です。

 

でもその平均寿命が全ての人に当てはまらないことは

毎日のニュースを見ればすぐに分かりますね。

 

新聞, 記事, 仕訳帳, 見出し, ニュース, 紙, テキスト

 

 

僕達はいつの間にか、自分たちは死なないだろう。

と思いこんでいる時があります。

 

でも人間いつか死にます。

あれだけ多くの偉人が不老不死を求めてきましたが

必ず人は死にます。

 

これに死生観の3つの真理が書いてあります。

 

 

www.sepatakuro.com

 

 

 

そして自分は死なないという考えだけではなく、

自分の大切な人は死なないという考え方をしてしまうのも

人間です。

 

だからこそいつ死ぬかもわからないたった一度に人生であれば、

自分が納得いく人生を生きていたいし、

自分の生きたい生き方を生きることこそが

一番幸せなんじゃないかと思っています。

 

 

皆さんには大切にしている生き方ってありますか?

僕には大切にしている生き方が3つあります。

 

 

越川の大切にしている生き方

 

誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、

誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、

誰かと手を繋ぐ、誰かとハグする、誰かとすれ違う

それが生きる。

 

自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。

誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、

誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて

鬱陶しいと思う私、

そういう人と私の関係が、他の人じゃない、

私が生きているってことだと思う。

 

私の心があるのは、皆がいるから、

私の体があるのは、皆が触ってくれるから。

 

そうして形成された私、今、生きている。

まだ、ここに生きていることには意味があるんだよ。

自分で選んで、君も私も、今ここで生きているみたいに

 

 

これは桜良が言っていたことです。

 

確かにそうですね。

自分がいるのが分かるのは他の人がいるからこそ。

だから人が好きとか嫌いと言う感情が分かる。

 

 

この文章で僕は冒頭の文がすごく響きました。

 

 

過去はどうあったとしても、

自分は自分を認め、信じ、愛して、

人を認められて、人を信じられて、

人を愛する生き方がしたい。

 

僕は大切にしている生き方が3つあります。

 

 

1つ目は「ありのまま」

ありのままとは人と比較をせず、

等身大で自分が生きたいと思う人生を生きていくという事。

 

  

2つ目は「愛」

愛とは自分を愛し、人を愛する。

そして自分の可能性を信じ続け、人の可能性を信じ続けるという事。

 

 

3つ目は「発信」

発信とは、自分にしか伝えられないメッセージを人に伝え続けるという事。

 

 

僕がこの生き方に至った理由は、

2つの出来事がきっかけでした。

 

 

まず1つ目は父親との比較でした。

 

僕は父親の影響で小学1年生から野球を始めました。

僕の父親は高校生の時に甲子園に出ています。

 

5番ファーストで出場していました。

丁度同世代でPL学園全盛期の桑田、清原がいた時です。

 

当時、父親の母校(僕の母校でもあります笑)はかなり有名で、

東の上尾、西のPLと言われていたレベルの強さでした。

スタメンは全員50メートルは5秒台、6秒前半。

遠投は100メートル声が当たり前。

そんなチームで父親はプレーをしていました。

 

 

僕はその事実を小学生の時に母親から聞きました。

そしてしっかりと甲子園の土も見せてもらいました。

 

 

 

僕はそれが嬉しくて、友達に自慢していました。

自分の父親が甲子園プレーヤーであるという事。

家に甲子園の土があること。

 

そしたらある時友達にこんな事を言われました。

 

「それお前すごくなくね?」

 

まあそうなりますね。

別に僕は何もしていませんでしたから。

 

 

僕は勉強が特別出来たわけでもない。

運動神経が万能だったわけでもない。足も遅かったですしね。

野球も大して上手くありませんでした。

 

 

だから確かに

 

「何で自分は自分ではない人の自慢をしてこんなに喜んでいるのだろう。」

 

と思い始めてから、

父親を介して自分を見るようになりました。

 

 

父親は小学生の頃から有名で、

マラソン大会は負け知らずの6年連続1位。

短距離も負け知らずのダントツの1位。

走ったら誰にも負けたことないと言っていました。

 

 

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打っては打率6割超え。

野球は3割打てればいいバッターとされています。

10回打席に立って、3回ヒット打てば一流です。

 

 

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ただ、6割という事は、

10回打席に立って6回ヒットを打っているという事です。

 

 

そんな化け物のような小学生でした。

その為、地元では父親はかなり有名でした。

 

だから僕はよく色々な方にこういう風によく言われました。

 

「越川の倅か」

「お前の親父さんはすごい人なんだぞ」

 

と。

 

 

だからずっと父親と自分を比べて生きてきました。

 

「何で自分はこんなに出来ないんだろう。」

 

とずっと思い続けてきました。

だから全然自分に自信ありませんでした。

 

でも昨年の9月、myselfに出会い、ブログを続けてきて

等身大でありのままに生きることの楽しさを教えてもらいました。

 

 

本当に幸せでした。

誰に何と言われようが自分は幸せな人生を生きている

という実感がありました。

 

自分が心の底から行きたいと思える人生を生きていました。

 

 

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物的な幸せというよりは、心的な幸せがあり、

本当に満たされました。

 

それは今まで10年以上比較してきた思考回路から解放され

自分の本当に生きたいと思う人生に出会うことが出来たからです。

 

だからこの「ありのまま」をかかげました。

 

 

そして2つ目。

これは高校生の時のお話です。

 

 

結構見ていただいている方はまたか。

と思うかもしれませんが、そうです。またです。笑

 

 

ただ、今回は少し踏み込みますね。

 

僕は今まで彼女が出来たことがありません。

 

そう。

中学生の時までは普通に告白してフラれるっていうまあ

よくあるパターンだったんですね。

 

 

ただ、高校生の時、僕は3年間ずっと同じ子が好きでした。

一度もその子を忘れたことはありません。

 

入学して初めて会った時、一目惚れでした。

 

そこから連絡先を交換して毎日のように連絡を取っていました。

その子は当時付き合っていた彼氏がいました。(しかも野球部)

 

 

初めはすごくショックでしたが、

どうやら連絡がまだ続くみたいだったので

連絡を取り続けました。

 

そして相手も優しく返してくれましたし、

レスも結構早かったです。

だからますます彼女の事が好きになっていきました。

 

1年生の時に、やっぱり想いを伝えたいという事で

その子に告白をしました。

 

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当時はそんな勇気もありませんでしたから電話で伝えました。

答えはごめんなさいでした。

 

結構へこみましたがもっとへこんだのは

 

何故か僕が彼女に告白したことが野球部に漏れていたという事。

 

一気に広まり、多くのメンバーに馬鹿にされました。

でも彼女の事はどうしても忘れられませんでした。

やっぱり好きだったんですよね。

一目惚れの子ですからね。

 

しばらくしてまた連絡を取り始めるようになりました。

 

高校3年生の時、やっぱり想いを伝えたくて

今度は直接想いを伝えました。

 

 

結果はごめんなさいでした。

 

でもどうしてもその子が忘れられませんでした。

彼女も優しい子だったので

それ以降も連絡をずっと取っていました。

もちろん意図的に距離を置いていた時もありますが、

基本的に連絡を取っていました。

 

 

そして部活を引退し、秋の事です。

 

 

当時、体育祭の委員長をしていた僕は

自分に誰もついてきてくれる人がおらず、

完全にストレスが溜まっていました。

 

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更に、受験を控えており、

同じクラスのメンバーとプレ受験をして

友達は受かって僕は落ちました。

 

その2つがあったのでかなりストレスが溜まっていました。

 

なので癒しを求めて僕は彼女をご飯に誘いました。

しかし中々LINEが返ってこない。

 

そして携帯を見ると、僕の親友でもある子から

写真が送られてきました。

それはSNSの投稿の写真です。

 

 

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そこにはこんな文が書かれていました。

 

「ほんと無理。そろそろ気付いて。」

 

それを見た時、

一気に背中が凍り付いたのを今でも鮮明に覚えています。

 

今まで気が付かなかったんです。

彼女がそういう風に思っていたことを。

 

 

そこから僕は人間不信になりました。

誰を信じたらいいのか分からない。

誰と一緒に居たらいいのか分からない。

 

確かにその子の件は僕が一方的に

アプローチしていたところは少なからずありましたし

彼女も悪気があってやったことではないと思います。

 

 

ただ、当時の僕にはかなりこたえました。

何故なら高校生活3年間振り返ってみても、

その子のことだけが好きだったからです。

 

人を信じることが怖くなりました。

人を愛することが怖くなりました。

いつか必ず裏切られるときがくると。

 

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だから人を愛することが出来ないから

人から愛されることも無いと思っていました。

 

それを人に言うのが怖くて

嫌われると思っていたし、

噂となって広まったらどうしよう。

とずっと思っていたので誰にも言えませんでした。

 

 

つい先日、父親の事も含めて初めてその事を母親に伝えました。

 

 

「俺はずっと親父と比較をしてきた。

親父に比べて何もできないし、何も残せていない。

だから全然自信が無くて

何でこんなに俺ってダメなんだろうって思ってきた。

 

俺は人を愛することが怖い。だから親を愛することも怖い。

人を愛せないから誰からも愛されていないって思ってきた。

だから俺はずっと彼女がいないんだ。

 

こんな俺って生きていていいのかな。。。」

 

そしたら母親は

 

「そんなことがあったんだね。

気付いてあげられなくてごめんね。

私はあなたにどうなってほしいとか、

何か成果を残してほしいとは思っていないよ。

 

あなたが生きている。それだけで私はいいの。

私はあなたを大切に育ててきたし愛してきた。

そこには誰にも負けない自信があるよ。だから自信もって。」

 

 

こんな自分でも愛してくれている人がいる。

こんな自分でも大切に思ってくれる人がいる。

初めてそれを知りました。

 

家族って有難い存在だなって思いました。

 

父親は僕を養うために、独立し税理士事務所を経営しています。

そして税理士という仕事に誇りを持ち、

現在は全国の税理士の上位2%の人にしか渡されない

賞に表彰されたそうです。

 

そして父親は甲子園に出た自分を誇りに思っています。

だから自分からは絶対に自慢をしません。

 

 

父親は僕の生涯の見通しです。

昔は大嫌いでしたが、

今はこんな父親を持てて誇りに思います。

 

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母親はずっと朝早く起き、弁当を作り、

汚れたユニフォームを毎日洗濯してくれました。

 

 

洗濯, 乾燥, ハング, 洗浄, クリップ, 綱, 外, 服のライン

 

 

あなたたちが美味しいものを食べられたり

幸せに生きてくれることが私の幸せだから私はこれで良いんだ。

と言ってくれました。

 

 

母親は常に僕たちの事を優先してくれて

常に僕たちのことを愛してくれていました。

 

だから自分は父親のように自分のありのままに誇りを持ち

母親のように愛を持って接することが出来る人になりたいと。

そしてそれを常に伝え続けていきたいと思いました。

 

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昔は本当に生きたい生き方があるのに、

生きることが出来ませんでした。

 

というより理想の生き方をしてはいけないと思っていました。

 

 

何故なら人の目、世間の目があったし、

過去の何もできない自分が嫌で嫌で仕方なかったからです。

 

 

でもたった一度の人生で

何も制限が無いとしたらどんな生き方がしたいのか。

それを考えた時に

 

この3つを大切にして生きていきたいという結論になりました。

例え過去がどうであれ、自分の生きたい人生を生きていい。

何故ならその人の人生だからです。

 

 

だから僕の大切にしたい生き方は

「ありのまま」「愛」「発信」

です。

 

 

最後に

 

そして僕はこの生き方を通して見つけた一つの確信があります。

それは

 

「その人のコンプレックスはその人の武器になるという事」

 

人は同じ経験をしている人がいると救われます。

そしてその経験をした人の辛さを分かってあげられるんです。

 

それこそがその人しか伝えられないメッセージになっていきます。

 

これは僕がブログを続けてきたからこそ分かったものです。

 

これは僕が生涯を通して伝えていくメッセージです。

そしてこの生き方を生涯大切にしたいと思いました。

自分が幸せでないと人を幸せにすることは出来ません。

 

まるでシャンパンタワーのように。

 自分が満たされて初めて

人を満たすことが出来るようになります。

 

 

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だからこそ常に自分が幸せな状態でいることが大切です。

そのためには自分の大切にしたい生き方に常に生きていること。

それが最も幸せであり、人を幸せにできると思っています。

 

 

その生き方に発信があるので、

このブログも続けていきますし、

もっと多くの人に自分のありのままを伝えていくことで

見えてくるものがあると思うのでこれから継続していきます。

 

 

この本を読みたい方はコチラ!!

 

 

では今日はこの辺で!!

 

こっしー